どうにも仲良くなれないもの

それは車の運転。
びくびくドライバーであるということは、今までにも散々書いてきて、
で、事あるたびに、自分で行かなくてはならない場所への運転を何とかクリアしてきたわけで、
今まで、数年前の「約20年落ちのカムリ対真新しいハイランダー」で、バンパーにちょい傷で済んだ「おカマ掘られ事件」以来、大した事故も無く今に至るというのに、
相変わらず、車の運転は好きになれない私。


裏道オンリーで行ける会社と、ターンパイクに乗って前に住んでいたランカスター近郊の町へ行くことと、近所のお店に行く程度の運転しかしてないし、必要に迫られないとなかなか新しい場所にも行けないのは相変わらず。


実は、この前、免許証の更新とグリーンカードの条件削除の為の指紋・写真撮りという、どうしてもやっておかなくちゃいけない、必要に迫られた用事が二件ありまして、当然運転して行かなくちゃいけないわけなんですが、
免許の更新は、まぁ何とか自分では運転していったことのない地域だったけれど、ソツ無くこなせてラッキーだったんですが、問題はグリーンカードの指紋。
これは、Philadelphiaまで行かなくちゃいけなくて(それでもDowntownやCenter Cityじゃなかっただけマシ)相方の助手席に座ってても、結構「ひぇ〜」と肝を冷やす場面に遭遇する街、そして相方が「ナビがナビの用を成さない」と銘打つ場所フィラデルフィアなだけに、超ド緊張だったわけです。


いつも運転は緊張する私でしたが、それでも色々ありつつも、ナビが非常にアバウトな指示を出そうとも、
どうにか目的地へ時間通りに到着できたんですが・・・・・いつもの通り、「やればできるじゃーん」と能天気な状態ではなかった・・・。もう安心を通り越して涙目。
(この後写真撮るっていうのに・・・。もちろん撮られた写真は朝イチだというのに、既に完璧お疲れモード満載だった・・・10年ものだってのに。)
何故なんだ〜手も震えてるわ、動悸はするわで、一体自分、どうしたん?って感じ。
緊張でガチガチだったのは言うまでも無く、そして無事指紋・写真撮りが終わったら、今度はまた家に戻らなくちゃいけないわけで・・・・。またまた肝を冷やしながらまた1時間運転して帰ってきた頃には、へとへと。


今までも緊張びくびくドライバーだったけれど、今回は特にひどい。
で、落ち着いた頃、何で私はこんなに運転するのが怖いのか?と分析してみた。

1.道を間違えたらどうしようと思っている。誰だって間違えることはあるし、その為のナビだし、間違えたら次を曲がってみるとか、どっかに車を止めてUターンするとかすればいいってことは百も承知だし、実際、そうなれば今まで対応したこともある。

2. 1の為に、常に自分が正しいレーンに居るかどうかが気になる。間違っていたら、その時レーンを変更すればいいって判ってるし、実際そうするのにも関わらず、たまらなく不安。

3. 時間にもちゃんと余裕を持ってスケジュールを組んでいる。だから急いで行く必要もないし、渋滞してたって大丈夫なはず。なのに不安。この出口をミスってしまったら、もう帰れないんじゃないかと物凄く心配する(が今まで、とりあえず目的地には必ず到着しているし、ミスったことも非常に実は少ない。標識もちゃんと見てるので実際はミスったとしてもそこから別ルートを見つけることも何とかこなしていると思う。)

4. 方向音痴である。これはもう、母からもらった血みたいなもんだからな〜(と遺伝のせいにする。)



何でなんだろう。自分でこうして挙げてみて、いかに自分が運転が怖いと思ってるかが、よく判る。よくドライブが趣味とか言う人もいるし、相方なんて、ナビなしで、あちらこちらへバイクでもすっ飛んでいくので、道もよく知っている。
でも、私は本当に知らないところへ一人で行くのが何故か判らないけれど、超がつくほど怖いんだなぁと、今回の指紋撮りに出かけて改めて確認した私。
手が震えるわ、涙が出そうになるわって、一体どんだけ怖いんだよっと自分で自分に突っ込んでみたり・・・。


でもこの車社会のアメリカのちょい田舎で、行動範囲を広げるってことは運転していくことと切り離せないというのも事実。冬で寒くなる前に、やっぱり行ける場所を増やさないと、生活に潤いも楽しみも半減してしまうというもったいないことも沢山ある。


・・・ということで、何とかこの意味のわからぬ運転恐怖症を克服したいと、アラフォー(既に死語?)の私は、心新たに思ったりするわけです。
とりあえず、最初の目標は・・・韓国系スーパーと巨大モール(の端っこの辺り←まだ弱気)に行ってみようと、
小さなことからこつこつやってみようと思ってます。(既に、心臓ちょっとバクバクしてるんだけど)