価値観の違いってこういうことなんだなぁと思うこと


私は凡人ですので、全ての欲を断ち切って煩悩を捨てて生きるなんて達観した人生は送ってないのですが、
でも年をとって物欲というより、人生を快適に生きる為に必要か否かという価値基準の方が重要で、
「それが自分の生活を快適にしてくれる物だったら欲しい」とか「別に無くても困らない」とか、
そう考えるようになってから、少なくとも物に支配される生活からは解放されました。


私の場合、もしも本当にそれが私が満足するクオリティでかつ自分で賄える範囲の物なのであれば買いますし、
別にそれが他で代用出来るものであったり、特に今すぐ必要な物ではないなと思えば、
いずれまたご縁があれば、欲しくなるだろうと思って、後回しにも出来るようになったのです。
例外を挙げれば本は、非常に妥協出来ない部分で私の弱点なのですが(笑)
こういう考え方をして生きてると、次第に物への執着というのも減って、
「形あるものは、いずれ衰えたり壊れたり無くなったりする運命にある。」と思ってたりするのと、
私のような凡人が持っている物のほとんどは、代替が可能な物が多いのです。
(思い入れであるとか、人から頂いたなど、自分の中の付加価値が高くて代替不可の物はありますけど)
ブランド物も嫌いじゃないですが、どっちかっていうとクオリティ重視。
心地よければ欲しいと思うし、それを身に着けた自分が素敵に見えるなら欲しい。
長持ちするし結果的に良いお買い物になったという経験も多いから買う。
逆に、安かろう悪かろうということも経験しているので、
安くても無駄買いということもしなくなりました。(おぉこれは大きな成長だっ←自画自賛



なんでこんな事を書いてるかというと、
実は結構ショッキングな物質的な執着心について考えさせられる出来事があったからなのです。


義妹の新居に呼ばれて、相方と二人出かけて行ったのですが、
何しろ新築ですし、引越しの際にも壁や床へのダメージを人一倍気にしていたので
彼女が新しい家に対して人一倍の思い入れがあったというのは知っていました。
普段から彼女は綺麗好きだし、お掃除もかなり念を入れてする人ですし、
車もいつもぴかぴかです。
几帳面でえらいなと思っておりました。
彼女も新築の家に早く人を呼んで盛り上がりたいと思っていたようで、
早速のお誘いだったわけです。
お酒を飲むのも好きだし、皆で飲んだくれたいと思っていたようなのですが、
酔っ払いがいれば当然、ちょっと物を雑に扱う人出てきたりするわけですし、
それまでは我が家を根城にしていたわけで、人が集まり飲んだくれる家に住んでる私にしてみると、
おんぼろ家だからまぁ気にしないというのも多分にあるものの、
「もうしょうがないよね」という域の話だったりするのです。


夜も更けて、徐々に皆が酔っ払いになって来た頃、事件は起きました。
なんと普段から大雑把な男の相方が、誤ってサイドテーブルに躓き、
キャンドルがテーブルから落ちてしまったのです。
ちょうどカーペットとフローリングの境目あたりだったのですが、どちらも蝋がついてしまいました。
皆で協力してフローリング部分の蝋はこそぎ落としたのですが、問題はカーペット。
被害はそれほど広くは無く、またキャンドルも薄い色だったので、見た目はわかりませんが、
触るとたしかにぼそぼそした部分があります。
誰かが「ワックスペーパーを乗せてその上からアイロンをかけると取れるらしいから後でやってみて」という知恵袋的発言をしたのですが、
義妹は、かなり気が立っていて、なんと
「今からワックスペーパーを買って来る!」と言い出しました。
その時、相方と私はその怒りっぷりを察して、カーペットを弁償する旨を申し出ていましたが、
「いいの。大丈夫。これは修復できるからっ!」と言葉でいいつつも、
その苛立ちは最高潮。
もちろん、相方は義妹を止めたのですが、
夜中の12時近くの話です。
私達身内だけならともかく、他にも今日招待されて来た友達もいます。
一瞬「え、まじで?」という空気がよぎりました。



そして彼女は客である私達を残して、ワックスペーパーを買いに走り、
戻ってきてそのカーペットの修復作業を黙々とやっていたわけです。
相方にしてみると、妹の新居を汚してしまったわけなので、弁償する気ももちろんありますし、
だから、そうして必死に落とさなくてもいいよと言ってるんですが、
彼女は聞いてはくれません。ただただ怒って黙々と作業するだけです。


その彼女の尋常ではない態度を見て、結局招かれた友達は恐れをなして帰ってしまいました。


気持ちはわかるんです。愛着のある思い入れのある新居ですし、
それを大事に使いたいという気持ちもわかります。
でも、どっちかっていうと、私は「物は使い込んで味が出る」と思ってる方だったりもするし、
人を呼んでお酒を飲んだら、どっかで何かが起こる可能性もあるって考えたりするので、
義妹のこの尋常では無い怒りっぷりは、私にとってはかなりの衝撃だったりしたわけです。
私にとっては、人と楽しく過ごす時間の方が大事だったりするので、
代替が可能な物であれば、よっぽどひどい事で無い限り
(例えばテレビを壊されたとか、物を盗まれたとかそういう事はもちろん別ですけど)
例えば今回のような状況であれば、とりあえず応急措置をして、
本格的な修復は後で人が帰ってからやるという風に考えると思うんですよね。
それだけ大変気にすることであると、私も相方も判っているから弁償を申し出ているんですが、
それは彼女のプライドが許さない。


新しい家は羨ましいですよ。そりゃ私もこんなおんぼろ家じゃなくて、
暖房もしっかり効いて、収納も全部きちんと使える家に住みたいなとは思います。(志低いかしら?)
でも、何だか彼女の姿を見ていると、その家を自分の理想の家にする為に、
きれいでぴかぴかにしていたいから、物凄い努力をしてるんですよね。
それが傍目に見たら、何だか家に使われているみたいに見えてしまったんです。
自分がお金を出して買ったものだから、大事に使いたいという気持ちからなんだと思うけれど、
でもそんなにきれいに使うことに拘るあまり、今回は途中からゲストを放り出してカーペットを掃除する姿を見て、
何だかな〜と思ってしまった私もいたわけです。
私だったら、そんなに家が汚れるのが嫌だったら人は招かないし、飲み会するなんて絶対しないと思います。
ただでさえ雑な人が多いアメリカ人、きれいに終わればいいですが
たいていは赤ワインのしみが白いカウンターに出来てたり、サルサが床に落ちてたり・・・・
なんてことざらにあるわけですから・・・。
酔っ払いが多ければ、ビール倒したなんてこともあり得ます。
(やたらとパーティ会場に指定される事が多い我が家では、もう当たり前の風景(苦笑))


アメリカ人の価値観の中に、キッチンが汚れるのが嫌だから料理をしないというのもあるんですが、
これも本末転倒なんですよね。
キッチンって料理する場所じゃないのか?って思うんです。(ちなみに義母がこのタイプです。お料理はたまにという人)
でも、この辺のアメリカ人の家に関する考え方はキッチンは社交の場所で、
最新の家電などをそろえて自慢する場所なんです・・。
いや、そんなこと言う私も一応それなりに掃除はしてますが、でもやっぱり料理してるなっていう
使い込んだ台所だったりするわけです。


話が逸れましたが、物に振り回される生活って辛くないのかしら・・・と
快適自堕落な生活を将来の目標にしている、働くありさん生活の私は思うのです。
きれいな家には住みたいですが、それに振り回されてたら、全然実は快適じゃないんじゃないか?
これが私の心によぎった疑問だったりします。
それで心がぎすぎすして、人に優しくなれないとか毎日お掃除三昧な生活って、
楽しくないんじゃないのかな〜と思います。


そんな物思いをした週末でした。