日本の英語とアメリカの英語の教育について

私は、日本で普通に中学・高校の英語教育と、
英会話学校、翻訳講座を受けて渡米に至りました。
アメリカに来てからは、ESL(英語を母語としない人用クラス)と、
アメリカ人と一緒に英語のリーディングのクラスを受けました。


その経験を踏まえて、日本の英語教育を外から見て思うこと、
アメリカのESLについてちょっと書こうかなと思います。


日本の英語教育というのは、まず文法ありきで、とても高いところから入っています。
文法というのは、成人してからアメリカに来た人間としてはとても大事です。
というのも、複雑な思考を的確に表現するには、
正しい文法を使わないと伝わらないからです。
でも、日本の英語教育には一つ忘れ去られた大事な事があります。
それは、英語は言語の一つで、言語の本来の役目は「コミュニケーションをする道具」だという事です。
私は中学1年で英語を学び始めて、とても好きな科目でした。
全く知らない言葉を覚えていくことがとても楽しかったし、驚きも沢山ありました。
私がアメリカのポップ・ロックに目覚めたのもこの頃で、
英語の辞書を引きながら、歌詞カードの歌詞を読み進めて、
「ああ、こういう意味だったんだ!」と感動して、音楽だけでも素晴らしいのに、
言葉を理解することで、もっと好きになりました。


でも、言葉なのに道具として使えない(=喋れない)ことがずっと疑問でもあったのです。
これが、後に高校に入って、親に頼み込んで英会話のスクールに通わせて貰った事に繋がります。
学校の英語じゃ無理だと、その時にもう見切りを付けていたんです。


多くの日本人は、英語は習ったけれど使えないし話せないと言います。
本当に話せないのかというと、読めるし書けるのですからゼロではないんです。
ただ、日本人の奥ゆかしさと謙虚さ、そして完璧主義が相まって、
「完璧に話せない=話せるなんて口が裂けても言えない」という風潮があります。
ブロークンでも何でも、単語を並べる事は「度胸」があれば、
本当は多くの日本人は出来るんです。
だけど、絶対に出来ないと言います。


英語を英語っぽく話すのが恥ずかしいという雰囲気もありました。
私は多分変わり者だったのか、英語を英語っぽく話してどこが悪い?と思ってました。



もう一つは、読む、書くは教わっても、著しく「聞く」「話す」という分野をおろそかにした
英語のカリキュラムの大きな偏りがあります。
私たちが習っていた頃の英語教師のほとんどは、
留学はもとよりおそらくあまりネイティブと話す機会も無い状態で、
本だけを頼りに英語の教授法を習った世代だったということがあると思います。
思うに私が学生の頃より10数年前などと考えてみると、
日本が経済的に盛り返し始めたとはいえ、留学などはほんの一握りの人が出来る事だったはずです。
なので、聞く、話すという分野を深める教育を普及する為の人材が確保出来なかったのだろうと推測します。
でも、第二次ベビーブーマーの走りで、受験戦争が激しい頃ですので、
英語は受験に組み入れたいし、そうすると筆記試験で試験できる
リーディングとグラマーを中心に・・・という風潮が出来上がったのだと思います。



私はそういう英語教育を受けて育ったので、アメリカに来てESLや一般の英語クラスの先生に、
エッセイなどの添削を受ける時の質問が異常にマニアックでした。
例えば「ここにこの動詞には、to-不定詞と動名詞を使うパターンがあるが、こういうシチュエーションを説明したい場合、どっちを使えばいいのか?」
とか「仮定法過去と未来の使い分けについて」
見たいな事を聞きたいし、私はそうやって文章を理解してるわけです。
そして、その質問をする為に、必死になってこの文法用語について調べて行くわけですが、
ESLの先生は私がどういうバックグランドがあっての質問か理解してくれたのでよかったですが、
アメリカ人の一般の英語の先生ですら、たまに
「・・・・Yorky,これはもう感覚の問題なのよ。これの後にはto+動詞(不定詞と言う言葉すら言わない)の方が聞こえがいいのよ」
という返答が返ってきたりするわけです。
to-infinity(不定詞)だとか、Subjunctive mode(仮定法)の過去完了(Past-Perfect Tense)がどーのという説明は全くされませんでした。


会話においては昨日の記事にも書きましたが、
人と会話してたり、音楽を聴いて
「ああ、そうか。こういうところで実はあの構文が使われているんだな」
と気づくことが増えました。


実はこういう高校英語なんかでやる複雑な文法というのは、
書き英語については有効ですが、話す時はあまり必要ないという事が多いです。
(実際、私が愛用しているコーパス活用ロングマン実用文法辞典にも、「仮定法」の項にそういう記載があったりします)



これはかなーりショックでした。
ちなみに、相方にそういう事を聞いてみると
アメリカ人は一応義務教育中に、そういう文法の事も一通りはやる。けれど、イチイチこれは経験をあらわす現在完了形、みたいな考え方はしない。自然に覚えていくもんだから。」
と言います。


言われて見れば、私たちも日本の国語の時間に文法を勉強しますが、
普段の会話やライティングの中で、イチイチ連用形やら連体形だのという事を考えてはいませんよね。
そういうことを語るのは「言語学者ぐらいのもんだ」と思いませんか?
でも、きちんとした文章を書くには、正しい助詞の使い方は知らないといけないし、
プロの物書きの方々は、吟味して正しい文章を書いているのだと思います。


日本の英語の文法というのは、このプロの物書きか学者が語るような事を集中して教えているような物なのかもしれません。
もしくは、外国語を理解する為に、そのストラクチャーを把握するというアプローチなのだと思います。
でも、冒頭にも書きましたが、確かに英語の文法はより正しく伝える為にはやっぱり必要なんです。


日本の英語教育が、どこを目指すのかが重要な気がします。
言葉をコミュニケーションの道具として使いこなす能力を伸ばす為の英語なのか、
それとも学術的な論文を書く事が出来る人材を育てる為の英語なのか。
大学受験の為の英語と考えると、多分日本の教育が目指した物は後者なのだと思います。
グローバル社会に対応する人材を育てるということなのであれば、
もっと会話力をつける授業を設けるべきだし、話す英語の重要性をもっと追求すべきだと思います。
(外国人講師を各公立校に置いてるようですが、それだけじゃ足りないと思います。)


ちなみに、アメリカでは私は外国語の授業を受けた事が無いのですが、
相方やその友達に聞く限り、
「授業中はずっとその言語で」が普通だそうです。
つまりドイツ語の授業は、先生はずっとドイツ語を話していて、
生徒もドイツ語を使わなければならないそうなのです。


・・・そのくらいやってても、アメリカでも同じように
「高校で○年クラスを受けたけれど、ほとんど話せない」という日本と同じような人も多いです。


外国語を習得するって、難しいですね。

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