被災地で父母が思うこと

寒さに震える避難所の体育館で、取材に来たレポーターに向かって、「東京から来たの?大変でしょう?寒いでしょう?」と気遣ったおばあちゃんの姿を見て、涙腺崩壊した私。そうなんだよ、日本のおばあちゃんは、そんな時でも孫みたいな年の大の男を心配するんだよ・・・どこまで母性なんだよっ(涙)


余震が1時間おきに続く中、ライフラインが復旧している盛岡の両親は、状態を聞くたびに「盛岡は、灯油とガソリン、食材が不足しているけれど、でも家も無事で、お水も電気も通ったんだから、沿岸で避難所で暮している人たちを思えば、文句なんて口が裂けても言えない。お米とおみそとお醤油とお砂糖がまだあるから大丈夫。」と言い、そして節電、節水をして暮し、ガソリンを節約するために、車で数十分の場所へ、「健康にいいから」と言って片道1時間半かけて歩いて出掛けて来たりする。
沿岸の人たちを思ったら、本当に文句なんて言ったら罰が当たると言っていた。


元気そうにしているが、それでも余震がずっと続き、そしてこのような状況が一体いつまで続くのか、という不安はぬぐいきれずにいるのだと思う。
1ヶ月なら1ヶ月って判っていたら、きっと耐えられる、でもこの状況が3ヶ月と言われたら、きっととても苦しい、そう言っていた。


母の父母、すなわち私の祖父母は大戦後満州からの引き上げをして盛岡に戻ってきた。
祖父は、朝鮮総督府から満鉄へ天下った役人で、祖母は鹿児島出身で曽祖父の仕事で朝鮮に渡り、平壌でお見合い結婚。
6人の子供を抱えての敗戦、ソ連軍の侵攻を生き延び、家を手放し、そして生後3ヶ月の母と5人の子供を連れて帰国して、
親戚の家の蔵を間借りしたところからやり直した祖父母を見て育った母。
去年の11月に99歳で天寿を全うした祖母は、全く知らない土地であった盛岡で、帰国後生まれた叔父を含め7人の子供を育て上げた。
母は、「おばあちゃんだったら、こんな災害時、どうしたかなぁって思うのよ。」と言う。そして、あの大戦後の状況から立ち上がることが出来た日本人は、きっとここからも立ち直ってみせると、力強く言う。
「だって、あのおばあちゃんのDNAが入ってるから、大丈夫よ〜。」と明るく言う。


石原都知事の「天罰」発言、日本国民の今までの暮らしぶりを憂いての発言なのかもしれないけれど、それでも聞きたい。こうして、つましく真面目に耐えている関東、東北の被災した人たちが一体何の罪を犯して、天罰を与えられたというのだろうか。
その後訂正して謝罪したらしいけれど、今のこの状況で、「おそらくこういうことが言いたかったんだろうな」という聞き手側の配慮が無いと正しく伝わらないような発言は、公的な立場の人間が言うべきことじゃない、まさに心無い発言だと思う。私は、この人のかみそり級毒舌って、普段ならまぁいるよね、こういう人と聞いて流せる人間なのだけど、今回は、タイミングも悪くて、使った言葉も悪い、という悪いことだらけの発言だったと思う。


どうか、こうして真面目に生きている人達が、早く、安全で安心して暮せる状況に戻れますように、
毎日祈っています。