ふるさとへの思い

金曜日の朝に、東北地方太平洋沖地震のことをネットで知り、
東京の弟妹から、盛岡の両親の安否はほぼ同時にメールで知らせてもらってはいたけれど、
ずっと電話は繋がらず、ネットから流れる映像を見続けていました。


両親の声を電話で聞けたのは、地震発生から18時間後、地震のことを知ってから15時間後でした。
停電中だったこともあり、母の携帯電話のバッテリーが切れ、父の携帯のみが通じていたので、
安否を確認して、その時の状況をすばやく聞いて1分足らずで切ったのですが、それでも、それでも、
親の声が聞けただけで、私の心はずっと軽くなりました。
それと同時に、今もまだ家族の安否を知ることが出来ない人たちの気持ちを思うと、いかばかりのことかと、
心が痛みます。


盛岡は、奥羽山脈に囲まれた盆地に位置するのと、地盤が固いこともあり、
幸い被害は驚くほど少なかったと、24時間の停電の後、電気が復旧して詳しく話が出来た母から聞きました。
電気が復旧したのと同時に断水となったのですが、24時間ぶりにテレビを見て、
それまでラジオでだけ聞いていた沿岸の情報を見て、あまりの被害の甚大さに言葉を失ったと言います。
災害の真っ只中にいる人達は、自分達が置かれている状況の全体像をなかなか知ることが出来ないということが、
改めて判ります。
数時間前から、水道も再開して、建物の崩壊も、死者の報告も現在のところ無いとのことで、
改めて、街の下には大きな一枚岩があるらしいという盛岡地域限定都市伝説が本当なのではないかと思えたくらいです。


今でも1時間おきに余震があり、また全ての供給ラインがストップしていることもあり、状況の長期化に備えなければならないことを覚悟している両親ですが、それでも「沿岸の人たちのことを思ったら、不満なんて無いに等しい」と、
この状況について愚痴もこぼさずにいる事を思うと、どうか二次災害、三次災害が起こりませんように、
これ以上被害が拡がらないことを心より祈るばかりです。


今回の震災で被害にあわれた皆様、ご家族とまだ連絡がつかない方々、そして今救助作業に当たられている全ての人たち、停電を余儀なくされた関東の皆さん、日本で頑張る全ての人たちの無事を祈り続けています。