Home Schoolの利点と弊害

私が働いているラーニングセンターには色んな生徒がやって来る。
コミュニティカレッジと呼ばれる準学士または専門士相当の学位が取れる学校は、
国籍、年齢にも、4年制大学に比べてかなりの幅がある。


中には、16〜7歳という高校生の学齢の子も、
もう高校レベルのクラスを終えて、カレッジレベルの授業を
進学準備の為に受けているという子も居るので、
16歳と50歳くらいの人が一緒の教室で学ぶという状況も有りえたりする。
前のセメスターに一緒に仕事をしたtutorの中には、二人16歳と17歳の生徒が居た。
つまり、16〜7歳の子が、50歳の生徒を教えたりという状況だったわけだ。
日本ならまずちょっと有り得ない光景である。
そして私が出会った「天才児」達は、
何故か皆ホームスクール出身の子達なのである。


ホームスクールとは、文字通り自宅学習で、
主に親の方針で学校に通わず、
家で家庭教師や親が与えた学習教材で勉強するのである。
大抵は、学校に通わせることでの、他の子供からの悪影響への心配や
学校のカリキュラムに不満がある親が選ぶ道らしい。
なので、日本の引き篭もりともちょっと違う。


私がアメリカで出会ったhome schoolerは賢い子が多い。
tutorをしていた二人も、飛びぬけて勉強は出来たし
まさに「スーパーティーネイジャー」である。
彼らは、自分で教科書から学ぶ能力がすごく高い。
自学しているからこその強みで、
教科書の隅々まで読み込んで理解するタイプである。
これは読む力の弱い現代のアメリカっ子の中ではかなりの強みである。
私が教える生徒名の中には、文章題を自分で読むと解からず、
私が読んで聞かせると理解するという生徒が物凄く多いのである。
(英語の読解力は私の方が絶対下のはずなのに・・・)


今期はその二人は働いていないのだが、
その代わり常連の生徒の方に二人home schoolerが居る。


この飛び級+ホームスクール出身者には、ちょっとした共通点がある。
一つは、恐らく皆が懸念するであろうコミュニケーションスキルがちょっと足りない子が多い。
会話するのが苦手というよりも、
言葉のキャッチボールが出来ず、言葉の砲丸投げになるか、
言葉のバッティングマシン(バッティングセンターにあるボールがどんどん飛んでくるあれ)
になってしまうのである。
(バッティングマシン型が一番多い。しかも、一般人にはちょーーーーーっと共感しづらい話題などについて、熱中して話してしまう場合が多い)
恐らく、大人が話を聞いてくれる状況に慣れていて、
友達と馬鹿話をする機会が無かったんだろうと思われる。


特に、tutorをしていた「ジーニアス」達は、
勉強が出来なくて来てる生徒達の気持ちに寄り添えないことが多かった。
解からない事を解からないと言えない子も多い。
しょうがないと言えばしょうがない。
だって彼らは多分、そういう壁にはぶち当たった事が無いのだから。
若いからしょうがないよな〜と思って見ていた。


Home Schoolerのもう一つの特徴は、
本当に、びっくりするくらい「擦れてない」ことである。
今時の高校生だったら、アメリカは特にデートだ!
メイクもばっちりだし、
やれプロムだ、ホームカミングだ、スポーツだ!
と言ってるところである。
がしかし、私の会ったhome schoolerは皆、とってもあどけなく、
一人16歳の男の子は、お母さんが厳しく未だに
PG13(13歳以下は両親の了承もしくは監視下で見る年齢制限)の映画ですら、
見せてもらえないと言う。
先週見た映画は古い「シンデレラ」だったそうである。
あまりにも純粋培養に拘ると、外界に出た時のショックは大きいのでは?
と余計な心配をしてしまった。


果たしてそれは健全に育っていると言えるのか?
という疑問も少々沸く。
やはり社会性というのは、例え個人主義アメリカでも重要だと思うし、
大学に行ってからでも遅くないと親御さんは思っているのかもしれないが、
大学デビューとか社会人デビューというのは、
押さえが利かなくて暴走するというのも良く聞くではないか?
(日本での話しだけれど、でもアメリカでもきっとそう。)
その16歳の少年に聞くと、
「教会やボーイスカウトで、同年代の子達とは話してるから」
と言うけれど・・・・・。


これもまたアメリカの風景ということで。