今日で渡米三周年

奇しくも、今日で今セメのファイナルが全部終わり、
そして、今日で渡米三周年である。
ファイナルが終わったと言うのは、すごい開放感である。
毎セメスターこの日を待ちわびているようなもんである。
おまけに、今日からルームメイトカップルは、
3週間半も不在である。
こんなにハッピーなことはない。


最後のファイナルはオンラインのクラスだったので、
ぎりぎりまで練習問題をやって、やっと先ほど終わらせて、
相方とワインで祝杯をあげた。


ついでに私の渡米三周年にも乾杯した。
一応こういう記念日というのは、チェックポイント的な役割を果たす物だと、
私自身は思っている。
だから、相方に聞いてみた。
「今日で3年になるけれど、どうよ?あなたは私と一緒に暮らして幸せ?」
彼の答えは「もちろん」だった。
「いいこともあれば悪いこともある。」
というので、そのいいことと悪いことを聞いてみた。
いいことは、「君が同じ国に居て、こうして一緒にワインを飲んだり、一緒にフットボールを見たり出来ること」だそうだ。
悪いことは?と聞くと、
「今は思い出せない」と言う。
自分で悪いこともあると言っておきながら、無いのか?
と思いつつ、私が予想してみようと言って
「例えば、あなたはすごく自立した人間だから、自由がなくなったとか、
たまにうざいとか、そういうこと?」
と言うと、
「それは、俺の自立した性格の問題で、君のせいじゃないよ。」
と、初めて言った。
これを聞けただけで、私は満足である。


いつも思う。
彼は自立した人間で、あまり他人を必要としない人なのだ。
だから、彼が窮屈に感じることは、私が望む関係じゃない。
私は、私と居ることで幸せと感じていて欲しいのだ。
だから、もしも彼が私と一緒に暮らすことで窮屈に感じるならば、
私は家を出ようと思っている。
だから、このチェックポイントは必要なのだ。
「あなたは私と一緒に居て幸せ?」
彼は何度も聞いている質問なので、「何を今更」と思うかもしれないが、
私は彼が幸せで居て欲しいのである。
私は自分が彼に幸せをもたらす存在で居たいのである。
だから、私は何度となく聞く。
「あなたは私と一緒に居て幸せ?」
じゃぁ、自分はどうなんだ?と言うと、
私は彼から沢山のことを学んでいると思う。
幸せか?と聞かれたなら、多分幸せと答えるだろう。
私がしてあげられることで誰かを幸せに出来ること。
それは多分私の幸せの根源なのだと思う。


私は自分がいかに無力かを知っている。
だから、私が幸せにしてあげられるなんてことは、
物凄いことだと思っている。
私が存在することを、幸せだと思ってくれる人がいる。
それは、私にとってとっても大きなことだ。
それは、家族だったり、友達だったり、そしてパートナーだったりするのだが、
私は、皆が幸せで居て欲しい。
私と一緒にいることで、私と時間を共有することで、
誰かが幸せな気持ちでいてくれること、
それで、私の存在を肯定できるような気持ちがするのである。
他力本願?そんなことはないと思うのだが、
自分の存在を認めてくれること、それが私の欲しい物だったりするのである。


最近思うのは、「何が欲しいの?」と聞かれると何が欲しいといえなくなっている。
物質的な物は、大抵何とか自分で手に入れられる。
私が欲しいのは、私が存在する価値があるという実感なのだ。
私は誰かのお役に立っているとか、私がいることで幸せになる人が居る。
そんなことが、私を幸せにするのである。
私は誰かのお役に立ちたい、誰かに必要とされたい、
そんなことを思って生きてきたんだなと、今になって思う。


私は誰かのお役に立っているだろうか。
私は誰かに必要とされているだろうか。
そして、私は何を必要としているのか、
それは、多分、私という存在を認めてくれる誰かなのだと思う。