ありがたや〜インターネット


毎朝、朝イチですることは、パソコンのスイッチを入れ、
コーヒーの豆を挽いて、コーヒーメーカーにセットし、
メールをチェックし、日本のニュースを見る。


今週に入り、高校の履修不足問題が明るみに出始め、
「この前のいじめ隠匿から始まって、一体どうなってるんだ?」
と思っていたら、
あら?見慣れた高校名が・・・・。
私の母校と、ついでに私の父の母校まで全国版に出ているではないか??


・・・嘘でしょう〜ってな感じである。
まぁ、指導要綱なんて、毎年のように変わっているので、
私が在学中の頃ですら、私の先輩の時と私の代、弟の代と、
ちまちま履修のカリキュラムが変わっていた気もするが・・・。
(時代がばれるけれど、その頃、丁度「共通一次」から「センター試験」導入への
移行直後の、試行錯誤の時代だったからというのもあるんだけど)


ちなみに、私の出身県は公立高校の方が進学率が高く、入試倍率も高いので、
公立でこういうことが起きるとかなりの大問題である。
多分、未だに父の母校も私の母校も、進学希望が99%以上の学校なので、
大多数の生徒は、大学進学希望者である。
多分、受験科目に集中するために・・・ってことなんだろうけれど、
私の頃は、まだ1年次に社会科なら地理、必修で、
2年から日本史・世界史でクラス分けされてたから、
必ず二科目履修はさせられていた・・・。


卒業に必要かどうか、なんてことは考えたことも無かった。
自分の受験に必要かどうかというのは、考えたけれど。
(私の場合、アメリカの大学に進学希望だったので、
多くはあんまり気にしてなかったが)
というのは、学校が用意したカリキュラムをきっちりこなせば、
卒業は出来ると信じていたからで、
今、母校の三年生がどんな不安な気持ちでいるのかと思うと、
かわいそうである。
文科省では、「きちんと履修した生徒に対してフェアじゃない」として、
今から、不足分科目を猛ピッチで履修させるように、としているらしいが、
そしたら、学校側の不手際で履修出来なかった
(やらなくちゃいけないと判っていたら彼らはちゃんと受講していたはずである)
生徒達は、当然受験勉強や対策講座に当てられるはずの時間を、
「卒業するための単位」の為に費やすことになるのである。
当然受験にも不利じゃないか?という気がする。


アメリカの高校のシステムを、こちらの人間に聞いてみると、
自分の目標に合わせて、各セメスターごとに履修科目を決めて受ける。
つまり全てが自己管理の世界で、
「落ちる人はどこまでも。モチベーションがあればどこまででも」の世界。
優秀であれば、上のクラスを狙えるし、
やる気がなければ、ドロップアウトする人もいる。
自分が大学に行きたくなければ、就職系のクラスを受けるし、
大学進学を狙いたければ、難度の高いクラスを受けるのである。
確かに退学者の率も高いのだが、それは全て自分次第である。
本の学校システムとの一番の違いである。


今、私は学校で数学の学習補助をしているので、
よく「私、Algebra(方程式とグラフ)」やったことないから」という人を
教える。
日本じゃまず考えられない話である。
何故なら、中学校・高校で必ず誰もが通る道だからで、
日本で、加減乗除を出来ない人は多分居ないだろう。
たとえ得意じゃなくても、筆算してもいいと言われれば、
みんな出来る。こちらの人は筆算すらも大変である。


アメリカの、コミカレの一番下の数学のクラスでは、
「小数と分数」から始まるのである。
日本なら小学校のレベルである。
高校卒業からかなりの年数を経てという人も多いのだが、
それでも、いくらなんでも、小数と分数は、
忘れていても、ちょっとやれば思い出すくらいのものではないか?
という気がする。
(実際、私も教える時、あまりに古い話で、一瞬あれ?どうやるんだっけ?と、
自分で筆算してみた。でも、不思議なことに頭で忘れていても、
体が覚えている。書いて見ると、もう考えなくても、手が勝手に動くくらい、言って見れば、日本人は訓練されているということです。ちなみに、私は日本にいる頃は、数学大嫌いで、成績も良くなかった。数学はスポーツみたいなところがあると実感。)


なんと大きい数字の読み方まである。
加減乗除の暗算を、出来ない人も山ほどいる。
かと思うと、その横で「微分積分」をやっていたりするわけで・・・。
これが、アメリカの教育の良さでもあり、厳しさでもある。


日本の誇りは、教育レベルの上下のふり幅の小ささである。
つまり、誰もがある程度までの教育レベルを修了しているのである。
今回の一件は、あまりに大学受験を意識するあまり、
本来の高校教育のあるべき姿というのを、無視してしまったということである。
高校卒業出来なかったら、大学に受かっても大学には行けないのでは?
そんな当たり前のことを忘れてしまっていたのか?と思うと、
本当に情けない気持ちになる。


そして「やったことにしておけばいい。」と、履修科目を改ざんして
提出していたのかと思うと、
学校とは、もっとも正しくあるべき場所のあるはずで、
教育とは、人を正しい道に導く場であるはずなのに、
なんでこういうことが起きるのか?
という疑問が沸いてくる。


高校教育の意義とは、義務教育で構築した基礎知識の土壌を、
より高等な教育により深め高めることではないのか?と思う。
そして、その高等教育の場において、子供達が自分が興味を持つ分野を見つけ、
それをより深く学ぶ為に、大学へ進学するのが、
本来のあり方なのだと思う。
もちろん、高校時代に自分の興味分野を見つけるのは難しいことなので、
それを大学に進んでから見つけることも可能なのだが、
それでも、高校時代に自分の目標を見つけそれに向かって邁進することへの手助けこそすれ、足を引っ張ることになった今の状況は、
何とも嘆かわしい限りである。

硬い話になっちゃったけれど、
最近日本のニュースで嘆かわしいことが多いので、
書いて見ました(笑)