ファイナル、遂に終了☆

長かったこの秋セメも遂に終わった。
今日の朝、最後の数学のファイナルを受け、全部終了。
毎度、このファイナル明けは、とてつもない開放感に襲われるのだが、
今回は厳しい教科も多く、プロジェクトやらペーパーに追われ、
何だかあっという間に終わったという気がする。
思えば、今セメは仕事も始め、
最初は意識朦朧として、早起きしていたのだが、
やはり、根は貧乏性(と何度も書いている)で、
忙しい方が調子が良いというのは、本当だった。
私はやっぱり「ひぃひぃ」言ってるくらいが丁度いいのかもしれない。
(がしかし、その後にすごい燃え尽き症候群が待っている。
毎度セメスターの始まりは、そこから復活するのが大変)


確かに今セメはきつかった。
特にサンクスギビング明けからは、怒涛のごとく締め切りに追われていた。
私の今までの人生は、「あぁ、もうだめ。もう無理」
というところに来ると、ちょっと諦めちゃったり、
方向転換したり、なんとなく「この程度にしておこう。」
と、自分を変に納得させたりして、
自分の限界に挑戦することは出来なかった。
今回もそこまでストイックにやったか?といわれれば、
もっと出来たかもと、思わないでもないが、
でも、かなりの部分で逃げずに立ち向かったと思っている。


小学校の卒業式の時、「呼びかけ」と呼ばれる、
卒業生からのメッセージがあった。(一人一言は言わされることになっていた。)
私は、たいしたことは言ってないのだが、
友達が担当した台詞に、
「苦しみを乗り越えてこそ、喜びが生まれることを知った。」
という言葉があった。
快楽主義のアメリカ人は、
「楽してなんぼ」と言うけれど、
苦労体質で、あんまり器用ではない私にとっては、
「頑張ってなんぼ。」で、
その後の充実感が欲しいがために頑張る、
みたいなところがある。
でも、根はぐうたらなので、
「どうにかして楽できないか?」
という事は考える。
でも、私の記憶は書くことによって生まれるので、
書いて書いて書きまくるという、
原始的な方法に行き着いてしまうのだけれど。
たまには、ちゃらっと読んでおしまい、
というのをしてみたいけれど、脳みそは変えられないので、
多分、ずっとこの方法で行くんだろうな・・・


このセメスターは、初めて自分で、ほぼ納得できるまでやれた、
という充実感があった。
先生にも恵まれた。私が今回受けた先生方は、
皆、努力をきちんと評価してくれる人達だったので、
本当にありがたかった。


中には、本当に相性の合わない先生というのもいるのだ。
そういう先生に当たると、大抵私の努力というのは認められないし、
先生が何を求めているのかが解らなくて、
それがグレードにも反映したりする。
私は夏、それで一つ失敗している。
だから、余計に先生との相性は重要で、
私の今期は、とても恵まれた学期だったと強く感じている。


テストが終わって、最初にしたことは、
学校の帰り道にある、ベトナム屋に行き、
食材を買い込んだ。
ふん、文句言われたっていいや。
今日は食べたい物食べてやる、と言わんばかりに、
ニラや大根、もやしなど、近所のスーパーじゃなかなか手に入らない
食材を買った。
幸い、ベジタリアンのルームメイトの彼女は帰省中なので、
思う存分自分の好きな物を食べるのだ。


帰ってきて、早速ニラ玉を作った。
お醤油をたらっとして、ほかほかのニラ玉と、
青梗菜のおひたし、大根とわかめのお味噌汁、ほかほかご飯、
あぁ至極の時である。
ニラって・・・なんでこんなに美味しいのかしら?


今日は、思う存分好きなことをしようと思っているので、
今からごろごろしながら本でも読もうと思っている。
クリスマスショッピングは明日に回して、
今日はとにかくぐうたらする。


終わった・・・非常にいい充実感。
来セメもこれに輪をかけて頑張るつもり。
あぁ、それにしても嬉しい。