あぁ〜もう、これがアメリカ時間。

うちの相方は、時間にルーズだ。
良いように言えば、「おおらか」とも言えるのだが、
とにかく彼の時間の逆算は、遅れること前提、と言っても過言では無い。
仕事に関しては、ちゃんとやってるようだが、
ことプライベート(私のことをも含む)は、時間の約束なんて、
その後1時間くらいは平気で見ておく必要がある。


私もその昔、待ち合わせには5分必ず遅れる女だった(笑)
でも、その時間に間に合おうという努力はするのである。
大人の15分前行動。未だに実行中である。
今も、結構ぎりぎり時間で動く人間ではあるものの、
何とか、約束時間1分前には到着できるように、
遅れそうな時は、連絡をして、という最低限のことはするようにしている。


今日は特別だった。愛車を修理に出しているため、
相方に学校まで連れて行ってもらえるか尋ね、
朝8時からテストがあるので、それまでに間に合いたいことも、
前日3回も念押しした。
私自身も5時起きをして、7時には準備が出来、相方を起こし、
コーヒーを淹れ、とにかく彼をお待たせしないで、すぐに行ける準備万端だった。
なのに、相方は、ゆっくり準備をし、(元々朝強い方ではない)
30分後やっと、家を出た。
ラッシュアワーなので、道路は渋滞していた(予想済み)。
それでも、ゆっくりコンビニでコーヒーを買う相方を見て、
ちょっといらっと来たがそこは我慢我慢。


迂回路を回り、なんとかハイウェイの入り口付近まで来た時、
既に、学校にぎりぎりたどりつけるかもという、15分前だった。
「今からハイウェイに乗れば、何とか間に合うね。」
と言うと、
「あ、今からもう一人迎えに行くから。」と今まで言わなかったことを言い出した。
「は??嘘でしょ??」
私は、そこで初めてムカついた。
急いで先生に電話して、
「渋滞で遅れそうです。それでも試験受けさせてもらえますか?」
(振り替えは一切無しという先生だった)
すると先生は、
「大丈夫よ。気をつけて来てね。事故はだめよ。」
と優しく仰ってくれた。あぁ先生感謝です!
そんな私を横目に、呑気に運転する相方。
「・・・ってか、どういう時間の逆算してるわけ?私、昨日三回は、8時からテストだからって言ったはずなんだけど。」
と、思わず言ってしまった。
相方はこれまたむかついて、
「あの渋滞、見ただろ?こっちはベストを尽くしてるんだ。落ち着けよ。」
日ごろ、8時、9時の直前は、道路が混むから早めに出ないと、
なんて、偉そうなことを言っていたのは、どこのどいつだ!
という罵倒が喉まで出かかったが、乗せてもらう身なので、
そこは我慢した。
まさか、アメリカでベストを尽くしてるのが通じるとは思わなかった(笑)
結果重視じゃないのかよ〜。
私には普段、色々なことで、
「でもね・・結果が第一だから。」などと言うくせに、
自分のときは、「ベストを尽くしてる」ことを評価しろっていうのかよ〜。
と、心の中はゴングが鳴る一歩手前だった。
何より、私が話したことなんぞ、何も聞いちゃいない、
というのが、頭に来ていた。
いつものことなんだが、本当にこの人は、私の言うことなんて、
右から左だし、どんなこともくだらないことだと思っている。


なんとか15分遅れで学校に到着。
気まずい別れだった。


アメリカの授業は、遅れても先生は何も言わない。
平気で遅く入ってくる生徒もざらに居る。
けれど、それでも、私は、どんな先生にも敬意を払うべきだと思うし、
なるべく遅刻もしたくない。
時間にルーズなのは、やっぱりすごくみっともないと思うからだ。


日本ではこの時間厳守と言う言葉は、いたるところで言われることだ。
もちろんルーズな人もいる。(私も日本に居たらまだまだ・・・大人の15分前行動に行き着いてないのだけど)
アメリカって国は、もちろん時間にうるさい人もいるのだろうが、
少なくとも私の周りの大半は、
「そんな5分10分に目くじら立てなくても〜。」
と言いつつ、30分は平気で遅れる輩も珍しくない。
理由は、「ビール開けちゃったから。」とか、そんな理由なのだ。


こういうお国柄なので、仕事になるとマニュアルによって管理され、
「一分遅れるごとに、50セント、給料から引きます。」(実際そんな会社があるかは不明だが、物の例えとして)
と、契約書に書いてあれば、彼らは絶対遅刻なんてしないのである。
要はお金が絡んだり、自分がどうにもしえない権力によって、
それを管理されれば、仕方ないのでやるのである。


こういう心理は他の部分でも、この時間のルーズさに影響する。
アメリカ人の教授の中にも、生徒が遅れて入ってくるのに嫌気がさして、
授業が始まって5分経ったら、教室に鍵を掛けて、
それ以降の生徒の入室を禁じた先生がいたそうだ。
「へぇ、そういう人もいるんだなぁ」と聞いていたが、
アメリカ人の大方の反応は、
「こっちはお金払ってるのに、一体何やってるんだよ。」である。
そして、ディーン(役員みたいな学校の上層部)に抗議に行ったりするのだ。


学校は社会の縮図とはよく言ったもので、
学校生活においても、日常生活においても、
文化の差を日々感じているのだ。