相方とのコミュニケーション・・・日米差そして男女差について


パートナーシップの本やらを読むと、
女性の方が圧倒的に、「話してすっきり」という度合いが高いそうだ。
男性は、話すことは「情報伝達の手段」であり、
「相談」とは問題解決をするために考えることである。
女性にとっての会話は、コミュニケーションであり、ガス抜きであり、
そして愛情表現でもある。


私と相方は、まさにその両極を行く二人らしく、
私は何かと話して、色々コミュニケートしたいと思う方で、
相方は、「男は黙って」というか、話すことというのは、
別に解決法でも何でもないらしい。


時に、私と相方の間に会話が無いという日々がある。
大抵、相方は一緒にはいるけれど、ずーーーーっとテレビを見ていたり、
雑誌を読んでいたり、好きなことをしている。
そして好きな時間に寝る。
私は、大抵、それにお付き合いして、
隣で一緒にテレビを見てたりするのだが、
会話が無いということに、とてつもなく寂しさを感じて、
「一体世の中のカップルは、日々どんな話をして過ごしているのだ?」
などという、基本的な疑問にもぶつかる。
その日あった事などを話してみることもあるが、
相方は、「興味のあること」と「無いこと」がきっちりはっきりしてるので、
お付き合いして、ふーん、ふーんと聞いてくれるタイプではない。
興味が無ければ、ほぼ「しかと」状態の場合もある。


私がつまんないのかと思い、ネタを仕込むこともあったが、
何せ英語で、面白い話をする、しかもネタで、などという真似が
出来たら、私は今頃大学院辺りにいるのではないかと思う(笑)
愚痴は禁止令が敷かれているので、文句や不満などのネガティブ事項は禁止である。


すると、いいことばっかり話そうと思うあまり、
今度は私が口を開けなくなるのである。
どろどろに疲れている日は、「疲れた」と言いたくないあまり、
無言、という日々が続く。
で、日々の報告はどうなるかというと、
「今日はね〜何も無かった。(いいことは)」ということになり、
ますますつまらなくなる。


別に、不平不満を言うのは楽しいという話ではない。
ただ、そこを規制されると、ネタが無い。
マシンガン家族出身の私がである。
じゃぁ、私の話は文句ばかりなのか?
そこまで極端ではないのである。
たまに、
「今日ね〜、こういうことがあったんだよ。ひどいと思わない?」
ってことから、「問題提起」をして、
「いや、これはこういう意味があって」とか、
「そうそう、この前、俺もこんなことがあったんだよ。」
「世の中、そんな人ばっかりじゃないって。」
「でも、こういう考え方もあるよ。」
っていう話の展開も有りだと思うだけだ。



考えてみると、私はどっちかというと、人から話を振られて、
それにレスポンスすることが得意のようだ。
なので、人から話題を提供されれば、
湯水のように、反応が湧き出てくるのだが、
「私が」「私が」と言うなと育てられたせいなのか、
自分のことばっかり話すのはよくないと思ってしまう。
とはいいつつ、心を許すと自分のことばかり話してしまうのは、
その反動かもしれない、と今反省する。
時々、はっと、「私ってつまんない人間かも」と思うのは、
自分からの話題が無いって思うときだ。


いや、本当はあるのだ。
でも、相方の興味の無い話題が多いというのもある。
「今日、見た服でかわいいのがあって」とか、
「今日、仕事でこういう人を教えて」とか・・・。
相方の反応が悪いと、その手の話題を却下する→ネタが無い
という状態になる。しょうがないのである。
私も、キッチンの話や、フットボールやバイクの話を延々と出来るわけではないし。



元々日本人の会話は、いいことばっかりを話す文化じゃないと
最近思う。
「いや〜最近忙しくてね〜。」とか、
「色々、大変なことも多くて。」というのは、
一般的によくある会話の糸口だったりもする。
「でもね、こんなこともあったのよ〜。」という発展型なのだ。
要は、「私ったらこんないいことも、あんないいこともあって、
今すっごい幸せ」と露骨に幸せアピールというのは、
極端にしない民族なのだと思う。
要は、謙遜の文化だから、自分をちょっと低く見せておいても、
実際周りは、
「いやいや、そんなことは言っても、こんなこともあんなこともあるじゃない?」と、
認めてあげる文化なのだ。


実際、いいことやらばかりを話してみると、
非常に話しづらいのが私だったりする。
確かに愚痴っぽいのはあるかも。不満もたくさんある。
不満は解消するべきなのか、我慢するべきなのかなんてことまで考える。


愚痴ばかりの生活は確かに幸せじゃない。
でも、どうなんだろう。いっつも幸せいっぱいな生活だったら、
不満も起きないだろうけれど、
実際、日常の生活でハッピーだらけなんていう、
理想の生活はあるのか?
「ハッピーでいることを心がける」ことはあっても、
それは、日常の不満や嫌なことから目を背けることではないのではないのか?
私はどうも、「ハッピーなふりをして過ごす」
ことは、ただの「見て見ぬ振り」だったり、
現実逃避のような気がしてならない。


私は、「苦境に立ち向かう」とか、「現実を見据える」とか、
そういうストイックな状況に慣れているのか、
この「いいじゃん、その日がハッピーなら」という、
お気楽、刹那的な幸せ願望の強いアメリカの生活に
たまにうんざりすることがある。
中にはもちろん居るのだ。
数年後、数十年後への希望を夢見て、
今の厳しい状況に耐える人も。
でも、何だか私の周囲は、やたらと、
「刹那主義」で「快楽主義」が多い気がする。
若いというのも一つの原因なのかもしれない。


私は、刹那的に、その時の快楽に身をゆだねるには、
年を取りすぎているのかもしれない。
即物的な楽しさよりも、精神的な安定を求めてしまうのは、
やっぱり私は年寄りなのだろうか・・・。


ということで、日々、色んなことを考えて生きているのだ(笑)


それで、私と相方との関係はどうなっているかというと、
私が、仕事と学校で猛烈に忙しくなったことで、
逆に好転しているように見える。
物理的に、一緒に居る時間や行動できる時間が狭まると、
相方は、割と一緒に居るようにとか、話をするように思うらしく、
(何とも単純といえば単純。)
ここ最近には無い歩み寄り(のように見える)行動が目立ってきた。
きっと本人は、つゆとも意識してなくて、
「そのときの気分」の行動だと思うが、
まぁ、私も以前ほど、会話の無い寂しさなどを感じる余裕も無いので、
これで釣り合いが取れたということなのかもしれない。


ともあれ、まぁ、コミュニケーション不全からは、立ち直りの傾向が見えるので、
良しとするか、と私は、飛び上がって喜ぶのを抑えつつ、
あまり期待せずに過ごしている。
(ここで、きゃ〜うれしい〜と、喜んで見せれば違うのかな・・・。)