読書は心の友

こうして書いてみて思うのは、私は何をするにも、
本を読み漁るという習性を持っているのが判る。
決して大それた物を読んでいるわけではないので、
人と文学論などを戦わせたり、という高尚なことは出来ない。
現に、世界の名作と言われる数々の本で、
読んでいない物は山のようにあるし、
いつか読もう読もうと思っていても、
ついつい、すぐに読むのを止められる
エッセイなどの軽めの物に走ってしまう。


が、本を読むのを止められるか?というと、これがそうも行かない。
読めない日が続いたりすると、
「あぁ、ちょっとごろっと横になって本でも読みたい。」
という思いがむくむくと沸いて来る。


バスで通学していた頃は、乗っている間や、待ち時間は
特に差し迫った授業が無い限りは、本を読む時間だった。
(がしかし、この前の春学期はそんな余裕も無く、始終何かの教科書や、
プリントを読んでいた気がする)
今は、車通学に変わったので、読みたい本があると、
「あぁ、早く家に帰って本が読みたい。」と思うのである。
本は心の友。
色々な人の考えを読んでなるほど〜と頷いたり、
ある時は登場人物に妙に思い入れが激しくなり、大泣きしてみたり、
文章の美しさにうっとりしたり。
読む分野は様々だ。まさに乱読。
日本の純文学から、エッセイ、対談集、漫画、実務・ビジネス書、趣味の本、
雑誌、専門誌などなど・・・。
児童文学もひそかに好きだ。
大草原の小さな家」シリーズと「赤毛のアン」なんて、何度読んだだろう。


こんな私が日本を離れてしまって、やっぱり恋しいものの一つは、
日本の本屋だ。
アメリカの本屋も素晴らしい。
広々として、沢山の書棚が並んでいるのを見るだけで、
わくわくする。
立ち読みではなく、床に座って読んでる人もいれば、
ソファに座ってコーヒーを飲みながら、店の本を読んでいる人もいる。
あれじゃ、商売にならないのじゃないかと思ってしまうが、
リラックスして本が読める環境があるのは、嬉しい。


だけど、日本の本屋のあの立ち読みの雰囲気も好きだ。
会社の帰りに寄って、ぼぉ〜っとしながら本棚の前をうろつき、
平積みになっている本やら、
棚に並ぶ背表紙なんかを見るのが好きだった。
文庫本もなんともあのお手軽サイズは、
小さなバッグなんかにも忍ばせておける、
素敵なサイズだと思う。


アメリカの本は、豪華装丁の立派なハードカバーか、
2回目に読み返す時には、既にページがなくなりそうなペーパーバックか、
という極端さがある。


あぁそれにつけても、本を読むのは止められない。
今度日本に帰ったら、古本屋に行って
読みたい本を買いだめしてきたい、
という小さな野望を持っている・・・。