インターネットと手紙、どちらも好き

私が最初に使ったPCは、Windows 98
1999年、ミレニアム突入間近の頃だから、
それほど早い方ではなかったと思う。
未だに、使いこなしているのか?と聞かれると自信は無いが、
生活に欠かせないツールになっているのは確かだ。


アメリカ生活を始めるにあたり、リサーチやら、
ビザの申請の書類の準備やら、飛行機のチケットの予約、
何から何までインターネットで全て出来たし、
今の学生生活も、日々リサーチやら、何かわからないことがあれば、
まずネットで調べるし、
夕食のレシピも、猫の健康チェックも、
どこかに行く時の道順も、全てインターネットで検索することが
日常になっている。


10数年前、
私が高校卒業と同時にアメリカの大学に留学をしたいと考えて、
学情報誌から学校を調べて、
願書と学校案内を取り寄せ、それに記入して
申し込みをするにいたるまでを、すべて郵送で行っていたことが、
信じられない。
一つの質問に関するレスポンスは、軽く2週間はかかっていた。


自分の拙い英語で、国際電話で資料を請求して、
スペルをきちんと伝えたと思ったのに、
とんでもない住所で書かれてきたこともあった。
よくそれで我が家まで届いたものだ。
あのポストを毎日覗いてどきどきする生活も悪くなかったと思う。


私が日本を離れる頃は、もうネットが無いと大変と思える状況だったのに、
こちらに来て数ヶ月、私のパソコンの接続がうまく行かず、
ネットはもっぱら相方のパソコンを借りて、という状況が続いた。
日本語を入力できないというのは、日本の家族友人とのやり取りには、
とても不便だった。


私は今でも、何でもインターネットで調べるし、
メールも頻繁にやり取りしている。


けれど、一方で手紙の良さも改めて実感している。
封筒を開ける時のどきどき感、
貼ってある切手を見る、消印を見て何日で届いたのか確かめたり、
封筒や便箋の質感、インクの滲み方、
そして手書きでしたためられた文字の有り難味を知る。
今でも時々、日本から送られてくる手紙や、荷物に入っている添え状を、
読むのが楽しみだ。
そして、私もこちらで面白いグリーティングカードや、
きれいな便箋などを見つけるとついつい、
「あ、あの人に送ろう」
と思い、手が伸びてしまう。


インターネットのおかげで、いつもオンタイムでやり取りが出来る便利さ、
手紙を自分の手に取って、海を越えてきた物を実感できる楽しみ、
どちらも私にとっては大事なことだと思う今日この頃である。