東京での就職試験

実は、6月辺りからぼちぼち就職活動を始めた話は、
以前も書いたのですが、その時一社メールでお返事を頂いた会社がありました。
が、しかし、その会社は9月から働ける人材が欲しいということで、
私は12月卒業見込みの身なので、条件が合わず
面接も私が帰国する日の後ということで、
「残念ですが・・・」という話で、その話は一度終わっていたのです。
実家に戻って、相方が到着するというその日に、
なんとNYのその会社のお偉い方から実家に電話が入ったのです。
(帰国連絡先として実家の電話番号をエントリーシートに入れていたんです)
予定通り面接はしたらしいのですが、欲しい人材が見当たらず、
ふと私の履歴書の事を思い出したらしいとのことでした。
急遽東京本社での面接もすることになったので、日程を調整して、
東京まで来てもらえないか?とのこと。
「え〜〜〜〜〜っ」(心の叫び)


一度は終わった話と思っていたので驚いたのと同時に、
一体、私の履歴書のどこが気になったのか、というのが凄く気になりました。
でも、電話の様子では9月から何とか働く方法はないか?という事を聞かれ、
それが一番困りました・・・・。
我が家はNYCから電車で2時間半強。とても通える距離ではないですし、
この会社を志望したのは、「受かったら、通える距離まで引っ越す」こと前提でした。
学校をパートタイムにしたとしても、学校とはまるで正反対の位置なので、
両立はとても難しいからです。


それより何より、今だから言える話ですが、
実はこの会社、結構名の知れた会社なので、私にしてみると、
「まさか、私なんぞの履歴書に見向きもしないだろう」
と、たかをくくって、いわば「記念受験」のような気持ちの会社だったのです(笑)
もちろん、興味のある職種でしたし、働けたらいいなぁとは思いました。
でも、雲の上のような存在と私は思っていたので、
返事すら来ないだろうと思っていたのです。


ともかく、色々条件が合わないながらも、
そういう会社の人と会うのも一つの経験、ということで、
取り合えず面接は受けてみようということになり、
相方にも了承を得て、私の帰国日を延ばすことにしたのです。


とても難しい筆記試験の後、私を含め5人の女性が控え室で面接の順番を待ちました。
私は最後だったのですが、筆記がとにかく難しかったので、
ほぼ諦めモードで、他の受験者とちょこちょこ話をしながら、
自分の番を待ちました。
皆青ざめて、「とっても怖かったです・・・。駄目です」
と肩を落として帰るのを見て、少々びびりましたが、
そこは何とか「元ホテル業」の意地で、にっこり笑顔で面接へ・・・・。


私が以前電話で話をした支局長は、非常にソフトタッチな話し方をする人なのですが、
それまでの「通訳しっぱなしの10日間」で声が枯れ気味な上に、
そのソフトトークに引っ張られて、私まで何故かソフトタッチな話し振りになってしまい、
営業笑顔に、ソフトトークで、何だか微妙に軟弱な印象を与えてしまった気がしました。
(普段の私とは大違い(笑))
しかも、他の子はかなりビビッて帰ったのにも関わらず、
私の時は、全くそういうこともなく(多少、いらいらしたおじ様も居ましたが)
いたってソフトな面接だったのです・・・・。
でも、争点はやはり「何とか9月から・・・」というのがネックでした。
12月まで待つのは難しいということなんだなぁと思いつつ、
でも熱心に、何とか私を雇う手立てはないかと考えて下さる姿勢には、
ちょっと感動すらしました。