そして東京へ

京都があまりにも暑かったので、猛暑東京はそれほど暑くは感じなかった。
でも、人は相変わらず多い、というかいつも多い。
とりあえずホテルに向かい、チェックインにはまだ早いので荷物を預けて、
浜離宮へ。と言っても、これは相方の突然のアイディアで、
実は東京のプランは、京都の様子を見ながら決めたいというので、
ほぼ白紙状態だった。
相方はもともときっちり旅程を立てて旅をするタイプではなく、
行き当たりばったり型なので、それはそれで面白いのだが、
前回それで「あんまり見れなかった」とブーブー言っていたので、
今回は「見たいところ決めておいてね」と言っていたにも関わらず、である。
でも、こういう人と一緒になってしまったんだからしょうがないと、
腹をくくる妻の私。
実のところ、皆もう旅の疲れがピークに来ていたのもあり、
相方と私以外は、かなりお疲れモードだったりした。
相方は「渋谷のハチ公」が見たいというので、渋谷に出ることに。
久しぶりの渋谷は、相変わらず若者の溜まり場で、
逆にサブカルチャー好きの相方には刺激的だったようである。
本当は秋葉原に行って、メイドカフェの店員とか見たかったらしいが、
(注:決してオタクではありません。)
結局渋谷に留まる事に。


私自身、あんまり渋谷で遊んだ事も無い人間なので、
取り合えずセンター街あたりをうろうろしてみて、
立ち飲みバーを発見したので、そこでビールを飲んだり。
(前述の通り、一度食事をしたら、つまみが出るところには入りたがらない為)
そこで、またまたひらめきの男(相方)が、
「カラオケBoxに行きたい」というので、
通り沿いにあったカラオケボックスに入った。
最初は遠慮がちだったものの、一度味を占めたらどんどん盛り上がり、
最後は、皆スタンディングで絶唱
カラオケボックスは、アメリカにも作るべき!という結論に達したところでお開き。
その後、アイリッシュパブを見つけて入り、外人だらけという久々の環境に、
少しリラックスしたようで、すこぶるご機嫌で日本最後の夜を過ごしたようである。


翌朝、相方と義父の希望で築地の市場に出かけた。
今は一般人はセリの見学は出来ないとのことで、市場を見るだけになったが、
最初は青果の部門を見ていた私たち。
さんざん魚はよう食えんと話していたくせに、何故か義父は
「魚部門へ行く!」と言って、魚市場へ。
魚大好きの私にしてみると、美味しそうないきのいいお魚が並んでいて、
「あぁ〜、この人達が帰ったら、絶対にお刺身食べるわっ!」
と心に誓っていたりしたのだが、
(いちいち私が食べるのを見て、「えっ!」と驚かれていたので)
予想通りの反応で、「これ・・・何(怯)」と質問の嵐であった。


時々、こういうシチュエーションで思うのは、
「きちんと訳してあげたら怖がるだろうし、実は知らないです〜とか、
馬鹿な振りをした方が優しさってもんかしら?」
ということである。
特に食事の時などに、聞かれた物をきちんと説明していたのだけれど、
もし曖昧にしてたら食べてみて「あら美味しいわ」ということになるのでは?
・・・でも、何だか判らない物には手をつけないだろうけれど。
まぁ、魚にはびびっていたようだが、
日本の食材のバラエティーの豊富さや、昔ながらの製法で作られた乾物などの文化にも
ちょっと触れたようなので、良い経験だったと思う。
その後、ダッシュで皇居に行き、写真を撮って
ホテルに戻ってチェックアウト。
その足で、成田空港へ。


実は私は、日本に戻ってから以前ちょっと話をして
私の卒業時期と、会社の雇用開始時期の折り合いがつかず、
駄目になったはずの会社から、
連絡があり、急遽アメリカに戻るのを数日延ばして、
面接を受ける事になったので、今回は彼らを見送る形になった。
何とも不思議な偶然なのだが、相方が東京の滞在先として選んだホテルと
同じビルにその会社の本社があったので、
ホテル滞在と同時に会社の場所の下見も出来てしまった。


ともあれ、無事一行はアメリカへの帰国の途に着いた。
珍道中だったと思うが、楽しい思い出となってくれればいいなと思いつつ、
私は再び、成田エクスプレスに乗って盛岡に戻ったのである。
(今回は、止まらず全てスムーズに帰れた♪)